top of page
Cherry Blossoms

隣組について

​隣組の歴史

tonarigumi-history-1.jpg

隣組は1974年に、バンクーバー・ダウンタウン・イーストサイドの簡易宿泊施設で必死に生活していた日系一世の人々の生活を向上させることを目的として設立されました。

第二次世界大戦中の長期にわたる強制収容所生活の影響で、日系シニアが直面する困難は増える一方でした。1942年にバンクーバーに住んでいた日系人は、家も仕事も取り上げられ、カナダ内陸部の労働キャンプに強制収容されました。強制収容所から解放された後も、多くの日系人にとって生活の建て直しは困難を極めるものでした。1949年にバンクーバーへの帰還が許されると、日系一世達はバンクーバーへ戻ってきました。

隣組の構想が生まれたのは1973年~1974年でした。1974年に浜田淳氏と4人の日系の若者たちが、地元の日系コミュニティと連邦政府プログラム「ローカルイニシアチブ・プログラム(LIP)」の支援を受けて「隣組」の前身となる「Japanese Community Volunteers」を設立し、Language Aidにオフィスを借りて訪問プログラムのなどの活動を行って、シニアとの絆を深めていきました。この頃からスタッフがこの組織のことを、日本語で「隣組」と呼び始めました。やがて連邦政府からの助成金が底をついて活動が停止した後、浜田淳氏と山城猛夫氏が市や州政府そしてユナイテッドウェイと連邦政府のニューホライゾンフォーシニアズプログラムから6ヶ月分の一次資金を調達して、Downtown Eastside Residents' Association (DERA)に拠点を移して活動を再開しました。1976年4月には、州政府とバンクーバー市から安定的な資金を得ることに成功し、1975年にはイーストヘイスティングス通り573番地にドロップイン・センターを開きました。現在ある多くのプログラムやサービスがこの時に開始されたものです。

1977年は日本人のカナダ移住100周年を迎え、全国的に多くの日系カナダ人たちがこの年を祝いました。全国日系カナダ人移民100周年プロジェクトの「A Dream of Riches」、パウエルストリート祭の開催、パウエル・グランドにおける桜の記念植樹や、全国オドリ(日本舞踊)ツアーのBC内陸部への遠征など、数々の記念行事が行われ、精力的にコミュニティの発展を盛り上げる機会を提供してくれた日系一世シニアの手によって隣組が発展しました。こうしたプロジェクトやイベントを通して日系三世の若者や日本からの新移住者が、パイオニアであるシニアたちと共に日本人の伝統や文化価値を再認識することにより、コミュニティの基盤を作り上げることになりました。このことが、第二次世界大戦中とその後の日系カナダ人への処遇問題について、間違っていたことを認めそれを正すという「社会の認識を変える」ことに大きな役割を果たしたといえます。全国日系カナダ人移民100周年プロジェクト(「A Dream of Riches」の製作主)は、本の販売による収益を救済活動に充て、早速1982年に一連の公開討論の活動を開始しました。隣組はこの活動においてきわめて重要なパートナーとなり、1988年に連邦政府との和解にいたるまでの間、奮闘してきました。

tonarigumi-history-3.jpg
tonarigumi-history-4.jpg

そして1986年にはパウエル通り378番地に移転し、日系高齢者住宅協会とシニア住宅プロジェクト「さくら荘」とより身近に活動できるようになりました。その後2000年にイーストブロードウェイ通り511番地に、そして2013年に現在のウェスト8番街42番地に移転しました。

1994年11月13日にはドロップイン・センターの設立20周年を祝う会がマリタイム・レイバー・センターで開かれ、多数の地元日系カナダ人コミュニティの人々をはじめ地元の日系カナダ人コミュニティメンバーや当時のBC州首相のマイク・ハーコート(Mike Harcourt)氏、リビー・デイビス(Libby Davies)氏などからお祝いのスピーチを頂きました。この祝賀会は隣組の20周年の記念であると同時に、日系カナダ人社会に果たした役割がどれだけのものであったかを反映し、コミュニティから感謝の意を表して頂いた機会ともなりました。

近年(2008~2009年)、1977年にオッペンハイマー公園(旧“パウエル・グランド”)に記念植樹された桜の樹木が、市による公園の再開発のため撤去の危機にさらされました。隣組とその他の日系カナダ人コミュニティグループや個人有志たちが集まりコミュニティ連合を結成し、市役所職員や公園事務局、近隣住民、その他の団体など関係者に、これらの桜の樹が日系一世シニアから受け継いだ遺産であり、文化的、歴史的記念物として意義あるものであることを説明しました。すべての樹を救うことはできませんでしたが、大多数の桜が残り、これらの樹は新フィールドハウスで日系一世に敬意を表す記念となっています。また受賞歴のある映画監督オオハマ・リンダ氏の手によって、公園内で移植された桜の樹の物語をつづった「サクラ・サクラ」と「春はあけぼの」という2本の短編映画が作成されました。

隣組は各種援助が必要なコミュニティの人々が立ち寄ることができ、また様々なプログラムに参加できる場を提供しています。また、長年にわたり、パウエルストリート祭協会や、日系カナダ人救済活動などの日系団体の会合の場として利用されてきました。

bottom of page